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About us

私達の教会の目標は、私達の生きとし生ける営みが救い主キリストを身近な日本の皆さんにごく普通の形で知って頂ける歩みとなることです。

 主イエス・キリストが神の位を脱ぎ捨てて、この世に「人の子」としてお生まれ下さった時から約2000年を数えます。この方は、父なる神様の御許ですくすくと育たれ、何一つ汚れの無いお方でしたが、我々罪人を見かねて、欲望渦巻く地上に降り立って下さいました。憐れみ深き主イエスの愛です。そこには何の私利も私欲もありません。わたくしはこの方の前に立つ時、自らの聖(きよ)さ、品格不足を告白いたします。家族が別れ別れに暮らす寂しさは形容のしようがありません。3位1体の主なる神様がたとえ3日間だけとは言え、子なる神様を失われたことに対して父なる神・御霊なる神に心よりのお詫びを申し上げる次第です。

 信仰の成長のための合言葉は①「御霊様教えて下さい」②「イエス様従います」③「父なる神様感謝します」です。

 この3つにはそれぞれ隠し言葉があって

①「御霊様(イエス様の十字架の意味を)教えてください」

②「(十字架を示された)イエス様従います」

③「(イエス様を送られた)父なる神様に感謝します」と言うようにイエス様の十字架が隠された形になっています。

 このことは私たち人類にとって「十字架」が非常に大事なことであるのを示します。なぜなら、私達は誰もがイエス様の十字架を通して「新しい人」に生まれ変わることが出来るからです。その理由を以下に説明いたします。

 十字架は「罪」を明確にしています。私達は悲しいかな生粋の罪人です。ですから自分では正しい行いが完全には出来ない。誰にでも罪が残る。罪とは完全な愛と完全な正義を行えないことを言います。もし不完全であるなら、私達は必ず人を傷つけまた自分も傷つく。そこに痛みが生まれ憎しみが堰を切り、柔らい心が石の心になる。そこに"怒り"や"さげすみ"また"復讐"が生じてしまいます。

やっかいなことに人間は弱さを持っていますので、"怒り"、"さげすみ"、"復讐心"を乗り越える事が自分一人では出来ません。

 ここに人の罪を担われたイエス様を「十字架」で表現する必要が私達にはあることを悟ってください。従って、聖書の3位1体の主なる神様も、いわばキーマンは「イエス様」だと言う事です。主イエスをこの日本でも恐れなく表現して行く教会になりたいと思います。それが日本に於ける「キリスト信仰の一粒の麦」と言えると考えています。悲しい事ですが、必ずやその時、日本の言語文化との衝突が起きるでしょう。馴染みのある『神』なら起きない『イエス』の神が真の神を現すことへの偏見と抵抗感でしょうか。

 こういった摩擦をなくすためにも私たちは日々の歩みを通して、イエス・キリストの十字架の愛を伝える教会になることをミッションにしています。

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